2020年10月01日
あなたがあなたであるということ

なんとなくやる気が出ない、
自分のしたいことが分からない
去年、あんなに活動的だった私はどこ?的な
手帳を見ると「やりたい事」や予定がアレコレと埋め尽くされていたのに、今年は なんだ「コロナ」のせいばかりじゃ無いとは思うけど
なんだかテンションが下降ぎみ。
自分の「好き」が分からなく
悶々としてしまっているこの頃 困ったものです。
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自己犠牲。
「誰々のために」 「何々のために」
日本的にはそれが美徳のように捉えられてきたり、実際の渦中の方は、しんどいけれど、心のどこかで 何かいい感じがしていたり。
日本の家計的にもDNA上 引き継がれている場合が多いので、これを消化するには抵抗感が出る場合もあることでしょう。
「代々引き継がれてきた日本人の美徳の何が悪いんですか! それが日本人ではありませぬか!」と、か。
実は、自己犠牲。
相手をコントロールする方法のひとつなんです。
よく使われやすいのは自己承認です。
自己価値を単体で、自分に感じられないので人を通して承認を得るという方法です。
尽くして相手の「役に立つこと」により、自分の価値を上げていくということです。
「役に立たなければ、私には価値なんてない!」というところに はまっている状態です。
尽くすという美徳(という信じ込み)の隠れ蓑の中で取引が行われています。
「尽くすから私を認めてください!」と。
隠れ蓑がなぜ必要かって?
私が他人をコントロールして、
欲しいものを得ている。もしくは、得ようとしている。 まさか私がそんな人だなんて思われたくないから(笑)
隠れ蓑を、無償の愛的な「尽くす」に見せることができたら 大成功(笑)
「へっ へっ へっ!
誰も私がコントロールしているだなんて見破られまい!」
閑話休題(笑)
幼少期の頃の親の承認が大事な時期に
それが得られなかった傷が癒えていなく、大人になってから、その手当として(身を削ってまで)承認を得ようと頑張っているのです。
ですが、「動機が痛み」ですと、
結果が(自分にとって)痛みで終わりますので、
そういう意味で、その行為が「無償の愛の行為」だったのか、一方的「取引行為」だったのかの区別が付くのです。
ただ(意図もなく)与えている時は、傷つくことはありません。傷つくということは、こっそり(笑)相手から何かを「得よう」としていたからです。
・こんなにも尽くしてきた「のに」
私に欲しいもの・状態を「与えてくれないひどい人だ!とか(笑)
※一方的取引行為なので、取引内容に関して相手は同意していませんので、望む内容を与えてくれるはずもありません。
・〇〇してあげたのに (この裏には要求があります)
また、一方的「取引行為」には「依存」が発生しやすいです。依存が発生していた場合、「復讐行為」に移行しやすいです。
(RASでは、依存と復讐はワンセットで考えます)
ここで重要なことは、
自己回復に、エネルギーを注ぎ込むことを選択できるかということです。
→ 勇気だけです。
自己犠牲 → 自己回復
もしくは、復讐(相手に犠牲を強いる)にエネルギーを注ぎ込み、自分の傷を見えないように意識を逸らすかです。
復讐は「向き合わない」という先延ばしに過ぎないですから。
・自己犠牲→復讐→自己犠牲→復讐→自己犠牲→復讐・・・ というパターンを繰り返し、回復に行きつけません(笑)
自己犠牲は、取引行為。
少しずつでも「意識的に」止めていけたらいいですね。
※もちろん その狭間で出てくる感情は「自分で」消化しながらです。
※絵本の「僕はいのちを生きるんだ」は、自己犠牲を描いたものでもあります。
2018年7月19日 松坂宏一氏ブログより抜粋

「読み聞かせ」にぴったり。子どもから大人まで楽しめる1冊です。
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あなたが、あなたであるということ
人に合せてばかりいないか?
自分は喜んでいるのか?
自分を無視してはいないか?
やりたい事が分からない、
「好き」がわからないは、メッセージ。




もっともっと自分を喜ばせましょう

自分以外の誰かに支配される事に幸せは無いのだ。
あなたがあなたであること それが
→ 「幸せである」ということです。

Posted by 東 美智子 at 22:52│Comments(0)
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