2020年09月19日
「腑に落ちない」? 「腑に落ちる」?
「腑に落ちない」「腑に落ちる」
どっち派ですか?
↓ ↓ ↓
「腑に落ちた」という表現、
日本語として正しいですか?
というのが、Yahoo知恵袋に載っており
「えーっ ( ̄■ ̄;)」な私。(今頃?)
で、ベストアンサーが ↓↓↓
「辞書に載っていないから正しくないというわけでもありません。言葉は歴史とともに変化していきます。「腑に落ちる」「大人げある」という言葉が、一般に広まり認められるようになることもあります。誤用から始まり、今までに定着した言葉はごまんとあります。」
(ΦωΦ) ♪ オモロ・・・

私は「腑に落ちる」派ですね。
さっそく、検索してみました。

私は「腑に落ちる」派ですね。
さっそく、検索してみました。
「腑に落ちる」という言い方を聞いたとき、
みなさんはどのように感じるだろうか。
筆者はというと、少し違和感がある。
「腑に落ちない」と下に否定の語を伴って使うのがふつうなのではないかと思ってしまうからである。
だが、この語もまた辞典での扱いが揺れている語なのである。単独で「腑に落ちない」、または「腑に落ちる」を見出し語に立てている辞書は、ほとんどが大型の国語辞典なのだが、
「腑に落ちない」派 : 『大辞林』『広辞苑』
「腑に落ち る 」派 : 『日本国語大辞典』
両 用 派 : 『大辞泉』 に分かれる。
「腑に落ちる」派の『日本国語大辞典』は、解説に「多く、下に否定の語を伴って用いる」と付け加えて、徳富蘆花(とくとみろか)の自伝的小説『思出の記』(1900~01)の、「学校の様子も大略腑に落ちて」という否定の語が下に続かない用例を載せている。
また、『大辞泉』は、「腑に落ちる」に、織田作之助の『わが町』の「大西質店へ行けと言った意味などが腑に落ちた」という用例を添えている。
実際の使用例は圧倒的に「腑に落ちない」のほうが多いのだが、文学作品などで「腑に落ちる」を探してみると、泉鏡花、高山樗牛(ちょぎゅう)、夏目漱石、有島武郎といった著名な作家の用例が見つかるのである。「腑に落ちる」は最近使われるようになったわけではなく、明治時代にはすでに使われていたということらしい。
どうやら「腑に落ちる」をおかしいと感じるのは筆者の誤った思い込みだったようで、辞書としては『大辞泉』のように両形示すのが妥当なのかもしれないと思い始めている。
「日本語どうでしょう?」
国語辞典編集者 神永 暁 記事より抜粋
まぁ・・・ ね・・・
「どっち派だ」と力まず時代とともに変化する
どっちもありってことですね。
でもー 「大人げ ある」あんまり聞かないかな?
(๑¯ω¯๑)
日本語って面白い。
言葉の使い方ひとつでいろんな感じ方ができますね。
選んでいるのは、「自分」だし。
目には見えない「感じる」感覚を大事に承認していると、自分自身の中心から、発するエネルギーで見える外側の世界が変わってきます。
RASでは、
「内側」=「外側」です とよく言います。
だからこそ、「自分を大事にする」ということが重要になります。
望んだ環境に 今がありますか?
「今ここ」を認識できるから、「嫌」とか「好き」な事が分かるのです。
ご自身に
嫌な事ばかりを押しつけているのか?
穏やかな環境を選んでいるのか?
辛い思いばかりをさせているのか?
ワクワクさせているのか?
「好きだから」ここにいる
「仕方がないから」ここにいる
「個性本質」を思う時に、
その判断には、「社会」や「倫理」などの「観念」が入り込む時もあります。
こころが感じる世界が
見える世界を創っていること
一度、注視・注感していただきたいと思います。
↑↑↑
(こんな言葉ないけど) (๑¯ิε ¯ิ๑)
「腑に落ちる」まで
(ΦωΦ)v フフフ…
(ΦωΦ)v フフフ…